経産省「デザイン経営宣言」のデザインとは「デザイン思考」のことであって意匠ではない、という話

2018年5月に経済産業省と特許庁が連名で発表した文書「"デザイン経営"宣言」は、デザインという概念の見直しと、その新しい概念としてのデザインがいかに企業経営に良い影響をもたらすかを論じた(役所の文書としては)画期的な内容でした。

また、特許庁自身がデザイン経営を実践して成果を都度公開し、「デザイン」という言葉がもはや旧来の「意匠」という意味では無いことを体現して見せたことも画期的でした。

しかしながら、「デザイン経営」というキーワードをネットで検索すると、「デザイン=意匠」という誤解の元にデザイン経営宣言の是非を論じているブログやtwitter投稿、さらにはマスメディアの論説記事を散見します。

経産省「"デザイン経営"宣言」のデザインとは「デザイン思考」のことです。意匠ではありません。以下に解説します。

デザイン思考とは

デザイン思考(design thinking)とは、「デザイナー的な物の考え方によってビジネス全般における<厄介な問題>を解決できる、とする思想および方法論」のことです。IDEO創業者デビッド・ケリーが2004年にスタンフォード大学に d.school を開講したことで、ビジネス手法としてのデザイン思考が注目されるようになりました。

<厄介な問題>とは要するに明確な答えの存在しない問題のことです。<厄介な問題>は以下のような特徴を持つとされています(“Dilemmas in a General Theory of Planning”,Horst Rittel, 1973 より)。

厄介な問題の特徴

  • 解決という行為が新たな問題理解をもたらす
  • 解決に「ここで終わり」という明確なゴールがない 
  • 解決の評価基準が「真か偽か」ではなく「良いか悪いか」である
  • 解決案が適切であることを完全に検証することはできない
  • 解決という行為が問題をさらに複雑化する
  • どの解決案が問題解決に最適であるかわからない
  • 全ての問題が固有であるため問題を類型化できない
  • 全ての問題は他の問題の前兆である
  • 問題をどう解釈するかで、解決案の方向性が左右される
  • 厄介な問題に取り組む者は、解決案に責任を負わされる

"デザイン経営"宣言では「デザインはイノベーションを実現し得る」とされています。もちろんこれは「デザイン思考はイノベーションを実現し得る」の意味です。イノベーションは上述の<厄介な問題>の特徴を完全に備えているため、「デザイン思考はイノベーションを実現し得る」という経産省の主張は納得のいくものです。

なぜデザイナー的な物の考え方は厄介な問題を解決できるのか

デザイナー的な物の考え方は一般に「ダブル・ダイヤモンド」プロセスという図で表現されます。「正しい問題を見つけるという工程が前半分を占めている」「アイデアの発散のための工程が2つもある」という2つの特徴があります。経営者的な効率最優先の考え方からすればムダな工程扱いされてしまうことが多いのですが、上述の<厄介な問題>の特徴を読めば、どちらも必要な工程であることがわかります。

また「ダブル・ダイヤモンド」プロセスはわかりやすく説明するための便宜上の図であって実際にはデザイナーはこのような順序だった思考はしておらず、無意識のうちに各工程を何度も行きつ戻りつするのがデザイナー的な物の考え方だとしています。


なぜデザイナー的な物の考え方はブランド価値を向上できるのか

"デザイン経営"宣言ではもうひとつの大きな主張の柱として「デザインはブランド価値を向上し得る」とされています。この主張は、やや複雑な話なのですが、デザイン思考と関係の深い「サービスデザイン」の考え方に基づいています。

サービスデザインとは「企業の顧客に提供する大小様々な製品サービスをひとつの大きなサービスとみなして、統一的にUXをデザインする」という思想および方法論のことです。小売業者がリアル店舗とオンライン店舗を同時に構える、Webサービス事業者がPC向け・スマートフォン向け・スマートデバイス向けのサービスを同時に提供する、などの現実の動きを踏まえた考え方です。

さて、もしも「企業の顧客に提供する大小様々な製品サービスをひとつの大きなサービスとみなして、統一的にUXをデザインする」ことができたなら、消費者はある企業の製品サービス全てから統一した印象を受けるはずです。すなわちブランドイメージが確立するということです。

つまり「サービスデザインによってブランド価値は向上し得る」ということができます。

サービスデザインはUXデザインから派生した方法論ですので、UXデザイン同様にISO9241-210で定義された「人間中心設計プロセス」を採用しています。実はこの「人間中心設計プロセス」もまたデザイン思考に基づいてつくられたものです。ゆえに、経産省は「デザイン思考でブランド価値を向上し得る」と主張しているわけです。

デザイン経営はデザイナー経営ではない

ここまで、経産省「"デザイン経営"宣言」のデザインとは「デザイン思考」のことであって意匠ではないと説明してきました。この事実はひとつの重要な結論を派生的に導きます。すなわち「意匠の専門家というだけではデザイン経営の経営者にはなれない」ということです。

デザイン経営に必要なのは「ビジネス全般の厄介な問題に対してデザイン思考を発揮できる経営者」「デザイン思考の価値をみとめ、従業員が円滑にデザイン思考を行えるような組織を構築運営できる経営者」ついでにいえば「サービスデザインを理解できている経営者」です。

ここを間違えると、誰ひとり使いこなせない佐藤可士和デザインのコーヒーマシンを全店に導入したセブンイレブンのような経営的大失策を犯すことになります。意匠の専門家である佐藤可士和さんに全店導入という大規模な変化が引き起こす弊害を予想して対策になりうる意匠をデザインをせよ、というのは無理な話です。格好よさを最優先して採用を決めた経営者がいけないのです。

誤解したデザイン経営をいくら実践しても企業競争力は向上しません。正しい理解から始めるべきと考えます(森山)


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